北山物語 第三話 -賑わいを増す海の商い-
大正元年(1912)に三井栄吉の代で始まっ た「北山」の海の商いは、その子三井三治郎へと受け継がれ、年と共に軌道へ乗っていきました。 現会長・三井芳治が生まれた昭和5年(1930)頃はまだ、農業の傍らに家族で浜に向かう半農半 漁の営みでしたが、芳治が現会長夫人の英子と結婚した昭和29年(1954)頃には、従業員も10名を超え、現在に繋がる水産会社の土台が築かれていました。 それでも生来真面目な三井家の家風 は相変わらずで、畑仕事や養蚕などの副業も海の仕事の合間に続けられました。「私も同じ河芸の出やから、子供の頃から質素な海の仕事には慣れておったけど、三井の家風は地域でも特に実直で厳しいものやった」とは、現会長夫人の三井英子の言葉。 昭和39年(1964)に創業者の三井栄吉が逝去すると、経営は子の三治郎、そして孫の芳治へ と受け継がれていきました。当時の日本は戦後の傷が未だ十分には癒えておらず、地域の水産業者は皆、小魚の天日干しのみに終始していました。 そんな同業者を横目に、芳治は鮮魚の扱いや流通 を学ぶために名古屋、そして下関へと修業に出て、魚の目利きと捌きの修練を重ねたのでした。この 時代に培った全国との信頼と繋がりが、現在の北山を支えるかけがえのない財産となりました。「前浜の小魚を売っとればええのに、北山はなんでそんな馬鹿なことをするんやと陰で言う声も多 かった。 それでもうちが上手くいっとるのを見て、周りもそっと真似をし始めたんや」 地域でいち早く世界の海に目を向けた北山水産に、最初の黄金期が訪れようとしていました。
|